セガサターンの思い出

2018年11月23日(金) 20:45

セガサターン、シロ!指が折れるまで!指が折れるまで!

今まで書こうかどうか悩んでいたのですが、自分にとって転機となったハードであるので、今思いつくところを書いてみようと思います。

メガドライブとともに幼少期を過ごした自分にとって、サターンの存在は大きいものでした。自分の目には、サターンは硬派なセガハードの精神を受け継ぎ、新世代ハードとしてふさわしい高性能機に見えていたわけですから、当然気になっていました。しかし、リリース直後のサターンは高価でしたから、すぐに手に入れることができず悔しい思いをしていました。それが1996年になると、大きくコストダウンされた後期型サターン(いわゆる白サターン)が登場し、ソフトのラインナップも充実していましたから、これは買うしかないと思い立ちました。ちょうど量販店で目玉商品として売り出されていたので、開店前から並んで買いに行きました。自分は何かを買うということには慎重で、並んで買うということは滅多にしないのですが、この時ばかりは事情が違いました。

そして電源を入れてみると、起動画面がかっこよくて、それだけで感動してしまった記憶があります。それからはひたすらゲームに熱中していました。おそらく人生の中で一番ゲームをしていた時期だったんじゃないかと思います。パソコン版ができなかった分やり倒したシムシティ2000、グラフィックはさすがにアーケード版に見劣りしましたが、頑張った移植だったバーチャロン、背伸びしたい年ごろには魅力的に見えた重厚なストーリーのシャイニング・フォースIIIなど、思い出は尽きません。

広告戦略に積極的だったのも今までのセガハードにはなかったことでした。せがた三四郎シリーズにはいつも笑わされていました。昔のセガにあった硬派さとバカバカしさの結晶だったと言えるでしょう。

残念だったのは、ハードとしての寿命が短かったことです。自分のように白サターンから入った人にとって、サターンが第一線の立場だったのは2年ほどでしかありませんでした。これはサターンの構造的な問題、複雑なハードウェアに起因するコストの高さ、3Dグラフィック性能の乏しさなどに起因するものであって、やむを得ないことではありましたが、事情を知らない当時の自分にとっては切り捨てられたということがショックでした。

サターン亡き後、自分自身ゲームに対して冷めた目で見るようになってしまったところがありました。いや全くゲームをしていなかったわけではないですが、寝食を忘れてプレイするようなことはまれになりました。インターネットを通じてフリーゲームを漁るようになるまでは、しばらくゲームに対して空白がありました。そういう意味でサターンは自分にとって転機であり、光と影を体感させられたハードでした。そういう複雑な感情がこのことについて書こうかどうか悩んでいた原因です。

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